人種差別の溢れかえる国、日本
この日本には人種差別が溢れかえっている。 それは俺が前から感じていたコトだが、最近俺の周りで特に目につくので、 怒りという名の愛を込めて、吐き出させてもらう。 一昔前、この世界には様々な人種差別がさも当たり前の様に行われていた。 ナチスドイツのユダヤ人迫害、アメリカの黒人差別、南アフリカのアパルトヘイトなど、 目を覆いたくなる様な残酷な仕打ちが国家の常識としてまかり通っていたのだ。 同じ人間なのに、生まれつきの人種という枠だけで、人に優劣をつける… こんなコトは日本人の誰しもが「悪」だと言うだろう。 しかしそれでも日本人は(もちろん日本に限ったコトではないが)、人を、容姿という枠だけで優劣をつける。 目が二重で大きいとか、体型がスリムだとか、足が長いとか、鼻が高いとか、 そういった人は一般的に「美人」と言われ、 太っているとか、目が一重で貧相だとか、足が短いだとか、 そういった人は一般的に「不細工」と言われる。 これが人種差別でなくて何であるというのか? 目の大きさなど生まれつきのモノだし、太りやすい人だっているし、 足の長さだってどうにか出来るモノではない、みんな遺伝子的な要素である。 容姿の善し悪しなど、時代の流行によっていくらでも変わる。 例えば平安時代は、顔がふくよかで一重瞼の女性が美人と言われた。 しかし今の時代にその様な容姿を持った女性は、美人どころか不細工と言われるであろう。 それは本質的な人間の美的感覚の変化などではなく、ただメディアや周囲に踊らされ流されているにすぎない。 つまり、愚かにも人はその時代に掲げられる「美」を目指し、 自分の生まれ持った容姿を殺すかのようにメイクをしたり、髪型を繕ったり、エステにいったり、整形をしたりする。 そして似たような容姿の人間が世の中に溢れかえる。 そんなモノは「美」ではなく、ただの流行である。 そしてそんな偽りの美に近づけない容姿を生まれ持った人は、当たり前の様に差別されるのだ。 これはもう容姿のアパルトヘイトである。 それを差別とも思わない、悪とも思わないレイシスト(差別主義者)達が「人種差別は悪いこと」などとよく言えたモノだ。 自分の大きな矛盾に気づくコトも出来ないほど、世の中に流されてしまっている。 かく言う俺も、人を見て美しいと感じる。 しかしそれは顔や体の造りなどではない。 その人の内面からくる雰囲気や、表情などからくる、生命と個性の美しさである。 そう、人には本来、十人十色の美的感覚があるハズなのだ。 それを忘れたレイシスト達が、時代によって変わる偽りの美を振りかざし、定説にしてしまっている。 「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の理論である。 いかにこの日本に、自分を持っていない人が多いことか。 そんな奴らが美を語るコトすらもおこがましい。 そして世間的に不細工と言われている人も、そんなくだらないコトに捕らわれ、 「かっこよくなりたい」「綺麗になりたい」などと思いながら、そうなれない自分に自己嫌悪する。 ナチスに迫害されたユダヤ人やアメリカの黒人も、必死に差別と戦い、差別をなくそうと努力したというのに、 そんな意志すらも持たず、ただ「かっこよくなりたい」「綺麗になりたい」の一辺倒である。 もはやかわいそうだとも言えない、愚か者である。 俺は容姿を見られて「カッコイイ」と言われるのも、不細工と言われるのも、大嫌いである。 また、俺以外の人がそう言われているのを見るのも大嫌いである。 「カッコイイね」と言われても、それは昔のアメリカで「白人なんですね」と言われているのと同じ事。 全く褒められている気がしないばかりか、自分もそのレイシズムの枠の中に入れられている様で非常に腹が立つ。 もしかしたら俺の内面から来るモノを感じ取って、その人の美的感覚で言ってくれているのかもしれない。 しかしこの人種差別の溢れかえる国日本でそれを見抜く為には、 自分の美的感覚を研ぎ澄まし、洗練し、鋭い目を持つコト以外に方法は見あたらない…。 この世をこんな世界にしたヤツは誰だ。 |